チャイムのあと,静かに二列に並んで聖堂にやって来て,一礼して席に着く6年生。
背すじを伸ばし,目を閉じて,黙想の姿勢で,数分間,心静かなひとときをもつことから,宗教の授業が始まります。その後ろ姿を見ていると,それだけで胸が熱くなるのです。5年生から6年生にかけて,心身大きく成長した子どもたち。


 一昨日の修養会でも,終日沈黙を守り,唯ひとりふざける子どもは居ませんでした。実に落ち着いてこの日のプログラムをこなしていったのです。私は6年生の子どもたちにA+をあげたいと思いました。

 本来なら修養会は「山の家」で行われるはずでした。入学以来、学年ごとに様々な体験やグループ学習を通して学校内では得られない貴重な学びを積み重ねてきた「山の家」で…。けれども今年はコロナ事情のため,修養会は学校で行われることになりました。

 テーマは「祈り」です。
 神父様のお話を聞いた後、子どもたちは心に残ったことを冊子に書きとめます。そして聖書のいくつかの箇所※1を自由に読み,味わい,深めます。午前中の時間は,ゆったりと流れていきました。午後は10数人ずつのグループに分かれ,教室のほかに図工室,図書室,応接室などを使って分かち合いをしました。
 私のグループは各クラスから3人ずつ集まり12人でした。みんなは初顔合わせでしたが,真面目に,正直に自分の考えを話してくれたのです。私はその素直な姿勢に感激しました。

※1
   * マタイ(5:13~16)  「地の塩・世の光」
   * マタイ(7:7~14)   「求めなさい,狭い門」
   * ルカ  (15:11~32)「放蕩息子」
   * ヨハネ(15:1~11) 「イエスはまことのぶどうの木」 などなど

 

 途中で神父様が来られ,分かち合いのグループに入ってくださいましたので,とても楽しい雰囲気になりました。
 "みんな,どんな祈りをするの?″
 "神さま,ぼくのおこづかいがもう少したくさんになりますように,とお祈りしてもいいですよ″
 "神さまには何でも話してもいいのです!″
 神父様独特のおおらかなムードにより,子どもたちにとっては肩の力をぬいてほっとするひとときとなりました。私たちのグループはとてもラッキーでした。

 そして,最後は講堂での「みことばの祭儀」です。神父様の長いお話にもかかわらず,子どもたちはお行儀よく,耳を傾けていましたので,それを見て私は感心するのです。6年生は実に立派でした。またまたA+をあげたくなります。お子様のこんな姿を,どんなにご両親様に見ていただきたかったことでしょう。

  今,6年生は宗教の時間に聖書の「放蕩息子のたとえ話」(ルカ 15:11~32)を読み,そこからのメッセージに触れようとしているところです。宗教の授業には子どもたちのいくつもの係活動が重要な役割をしています。ローソクをつける係,音楽をかける係,黙想の合図をする係,そして,インターネットの係などがあります。今週の宗教の授業では、インターネットの係の子どもが,レンブラントの「放蕩息子のたとえ話」の絵を授業の直前に映し出しておくことになっています。
 この一枚の絵の中に子どもたちは何を見つけるのでしょうか。神様のどんなメッセージを心に感じるのでしょうか。

 


Wikipediaより転載

 放蕩の限りを尽くして帰還した弟を抱擁する父親と,鋭い目つきで二人を見る兄の怒りに満ちた顔…。17世紀のオランダの画家レンブラントの代表的作品と言われるこの一枚の絵から,神様の憐れみ深いお心を感じとってほしいと願っています。

 

 このような語り合いの出来る6年生を心から誇りに思っています。

シスターベアトリス田中