ノートルダムには礼法の授業があります。この授業で私は、よく子どもたちに次のように語りかけます。
「『一期一会』ですよ。今のこの日は、もう2度と帰ってきません。その日その日を大切に。」

 『日日是好日』という映画があります。森下典子さんの人気エッセイ「日日是好日-『お茶』が教えてくれた15のしあわせ-」を映画化したものです。映画の黒木華が扮する主人公は、「世の中には『すぐわかるもの』と『すぐわからないもの』の2種類がある」と言います。深い言葉です。一方、樹木希林が扮するお茶を教える先生は「毎年、こうして同じ事が出来ることがしあわせなんだなあ」と深い言い回しで語ります。コロナ禍の今、胸に響く言葉です。
 「日々是好日」と言う言葉は、中国の昔の大禅匠、雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師の言葉だそうです。自分のこだわり、とらわれをさっぱり捨て切って、その日一日をただありのままに精一杯に生きることを意味します。「好」は、好ましいの「好」ではなく、積極的にこの一瞬を生きる決意を意味しています。嵐の日であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、ただひたすら精一杯に生きる。目前の現実が喜びであろうと、悲しみであろうと、ただひたすらこの一瞬を精一杯に生きれば、その一瞬の積み重ねによって生まれる一日は素晴らしい日になる。全てが好日(こうにち)になるというわけです。今だからこそ、胸に響く噛みしめたい言葉です。
 先日の2年生のクラスの子どもたちの絵日記を読んでいると、その一瞬、子どもたちの一瞬に出会えます。「ぼくのお誕生日でした。みんなでお祝いをしました」「じいちゃんとバトミントンをして楽しかったです。19回できました。つぎは30回つづけたいです」とか、「お父さんとお姉ちゃんと『法の山』に行きました」とか、ご家族が精一杯子どもたちに関わってくださり、子どもたちは子どもたちで、いつもとは異なるこの状況の中を精一杯生きてくれています。これが「好日」となる、きっとそうなる日が来ると確信しています。いつの日かこの学校の休校がどういう意味だったのかを振り返る日が来た時に、振り返って私も「好日」であったと思うことができるよう、一瞬、一瞬を精一杯生きたいと考えています。

2年生担任 鎌田裕子