アンネ・フランクの誕生日によせて

 

 6 12 日は、アンネ・フランクの誕生日でした。

「アンネの日記」によると、アンネは、おしゃべり好きで、人を笑わせたり、楽しませたりするのが好きで、活発に行動する女の子でした。学校の先生からは、罰として「おしゃべり屋」、「なおらないおしゃべり癖」などの題で作文を 書かされています。ノートルダムにも同じような生徒がいそうですね。

 日記を書き始めて間もなく、ナチスのユダヤ人狩りを避けて隠れ家生活に入ります。隠れ家では外部との交流はなく、密かに聞くラジオが頼り。病気になっても医者を呼ぶことも出来ません。

 密告によって収容所に連れて行かれるまでの 2 年余りの不自由な生活の中で、アンネにとって、空想すること・書くことが唯一の自由でした。作家になる夢を抱いていたアンネは、「キティ」と名付けた日記帳に、周りの人々のこと、自分の二面性のこと、そして戦争の愚かさなどを、話しかけるように書いています。 15 歳の女の子がこんなにも深く考えられるのかとびっくりさせられます。アンネは、日記の他にも 13,4 編の童話を書いています。スターにハリウッドへ招待される話、汽車の旅で、大人の男性をからかうおちゃめな話など。もしも、アンネが生き延びていたらきっとすばらしい作家になっていたことでしょう。

 

図書館担当   シスターテレーズマリー