5月は聖母月、今月の月目標は『親切』です。
今日(5月17日)は、低学年が『聖母月の集い』、高学年は『聖母月のごミサ』がありました。

 昨日の特活の授業では、子ども達と月目標について考えました。その漢字から言葉を考えることはよくあるのですが、『親切』はどのように考えたらいいのでしょう。
 国語の授業で、国語辞典の使い方を学習している子たち。また、漢字の成り立ちや使い方、熟語などにたいへん興味を持っている子たち。 はてさて、この『親切』は一体どのように考えていけばいいのだろうか?

●『親切』とは、親のように切(せつ)ない気持ち、切なる気持ち。 
  切(せつ)ない気持ち→切(き)れない気持ち→ずっと思い続けること→思いやり深いこと
                                         ということに、子どもたちと考え着きました。
(子どもの作文から)
 親はずっと思ってくれている。親とはずっと思い続けられる。子どものことを大切に思っている。たとえ「もう、うちの子じゃない。」と言っても最後には許してくれる。

(子どもの作文から)
 お父さんお母さんがぼくを大切にしてくれるから、ぼくもお父さんお母さんを大切にしたいです。親は子どもを絶対に見放さない。いつも見守ってくれる。マリア様はぼくたちの親。だから大切にしてくれる。

(子どもの作文から)
 親のように切れない心の人が親切な人。相手を思うほど親切。

(子どもの作文から)
 親のようにせつない気持ち。ずっと思い続ける心。私は『親切(しんせつ)』という意味がわかりませんでした。でも今日、意味がわかりました。親のようにせつない気持ちとは、切れない=ずっと思い続ける。ということだと知りました。つまり、親は切れないということです。お母さんやお父さんは、わたしのことを思い続けてくれている。ということだと思います。

(子どもの作文から)
 マリア様はみんなの親。だから、みんな親切にされているんだなぁと思います。それはマリア様がやさしいのだと思います。マリア様はわたしたちを切れないでいてくださるのです。わたしたちの親だから。そして、東北地方の人のために祈りたいと思います。

 本日の『聖母月の集い』にあたり、子ども達との授業、そして[十字架の道行き]を考えていました。
 十字架上で亡くなった我が子イエス様を抱くマリア様・・・。マリア様は一体どんなお気持ちだったのでしょう。

 この道行きの、ことの成り行きをずっと見ているしかなかった母親であるマリア様。 我が子が無実の罪を背負って、街中を引き回され十字架にかけられ磔殺されるのを見守るしかないマリア様のお気持ち・・・。切ない気持ちの極致ではないでしょうか。

  ノートルダム→私達の貴婦人→聖母マリア を校名にいただく本校。

 とりわけ、5月聖母月は大きく切なる月(大切な月)だ。とあらためて思う今日この頃です。

枡本 晃