1 年生の廊下を歩いていると、よく「宗教の先生!」と声をかけられます。「はあい。」と返事をした後、「行田といいます。名前覚えてね。」と言うものの相変わらず「宗教の先生、ぼくね、毎日お祈りしているんだよ。」と声をかけてくれる子がいます。「イエスさまはどうして十字架に架けられたの?」「イエスさまは今、どこにいるの?」「神さまはだれがつくったの?」等々、たくさん質問をしてくれます。子どもたちに宗教の先生と呼ばれて、何かぴったりしない、借り物の服を着ているような気恥かしさと嬉しさを感じます。

3 年生の子どもと「ゆるし」について授業をした時、何回注意をしても態度を改められなかった子どもがいたので、「○○君!」と厳しく呼んだとたん、すかさず「先生も赦しや!」という声がとんできました。ナイスタイミング!凍りつきそうな雰囲気が一気にほぐれました

知識は子どもたちよりはあっても、祈ることについては、素直な子どもたちに教えられることが多いです。「心を入れかえて幼子のようにならなければ、天の国には入れない。(マタイ  18 2-4 )」ことに気付かされる毎日です。共に祈る時間をもてることに感謝しています。

 

宗教専科  行田孝子