6月9日(木) 幼子のように
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年生の廊下を歩いていると、よく「宗教の先生!」と声をかけられます。「はあい。」と返事をした後、「行田といいます。名前覚えてね。」と言うものの相変わらず「宗教の先生、ぼくね、毎日お祈りしているんだよ。」と声をかけてくれる子がいます。「イエスさまはどうして十字架に架けられたの?」「イエスさまは今、どこにいるの?」「神さまはだれがつくったの?」等々、たくさん質問をしてくれます。子どもたちに宗教の先生と呼ばれて、何かぴったりしない、借り物の服を着ているような気恥かしさと嬉しさを感じます。
3
年生の子どもと「ゆるし」について授業をした時、何回注意をしても態度を改められなかった子どもがいたので、「○○君!」と厳しく呼んだとたん、すかさず「先生も赦しや!」という声がとんできました。ナイスタイミング!凍りつきそうな雰囲気が一気にほぐれました
知識は子どもたちよりはあっても、祈ることについては、素直な子どもたちに教えられることが多いです。「心を入れかえて幼子のようにならなければ、天の国には入れない。(マタイ 18 . 2-4 )」ことに気付かされる毎日です。共に祈る時間をもてることに感謝しています。
宗教専科 行田孝子
登録日: 2011年6月9日 / 更新日: 2011年6月9日