扉を開けて入るのをためらうほど、静まりかえっていました。時計係、音楽係、ローソク係……、すべて子どもたちによる進行で黙想が行われていました。

卒業まで4カ月。6年生の中には、卒業後、神様の話を聞く機会が全くない子どももいるでしょう。校長先生の祈りを込めたまなざしに、子どもたちは祈りの世界に招き入れられていきます。

「入学試験などでよく『狭き門』という言葉を耳にしますが、あれは、聖書にでてくる言葉なのですよ。はい、マタイ 7 13 14 節を開いて。」という校長先生の指示に子どもたちは素早く聖書を手にします。カサカサカサ……、とお聖堂に聖書をめくる音が心地好く響きます。狭き門、滅びへの門、命への門とは……。

                                                                             

 ところで、私は、『狭き門』という言葉を聞くと、なぜかドキン!とします。というのも、私にとって、アンドレ・ジッドの小説『狭き門』は私がキリスト教に出会った原点のようなものだからです。多感な中学生時代、主人公のハッピーエンドを信じてドキドキしながら読んだ結末は……。キリスト教の価値観を知らなかったその頃の私にとって、とても衝撃的でした。もっと早く知っていたら、違った生き方をしていたかも?

 

 さて、ノートルダム学院小学校の子どもたちは、とても幸せだと思います。たくさんのみ言葉の種を蒔いていただいているのですから。よい畑に蒔かれた種は、多くの実を結ぶことも知っています。卒業後、長い人生の中で、たとえ困難に出合ったとしても、きっとみ言葉を思い出し、良い選択ができることでしょう。そんなことを確信できた 6 年生の宗教の時間でした。

 

 

宗教専科  行田孝子