音は見るもの、絵は聞くもの

―絵本の心はお母さんのやさしさ―

 

ノートルダム学院小学校 校長
シスターベアトリス 田中範子

 NDホールの後ろ入口から雅楽の管楽器である笙を演奏しながら入場された東儀氏は、ステージの上までたどり着いた後もしばらく私達に背を向けたまま演奏し続けられました。会場はおごそかな雰囲気に包まれ、しばし平安貴族の世界に引き込まれたかのように思えました。笙を奏でる東儀氏の後ろ姿に、私達はもうひとつの世界を見た思いです。
 喜多郎氏の言う“音を見る”というのはこういうことなのでしょうか。シンセサイザー奏者の喜多郎氏の作品「敦煌」や「シルクロード」を聞いていますと、平山郁夫氏の30年かけて仕上げたといわれる大壁画「大東西域」シリーズが思い浮かびます。ここでは“絵は聞くもの”という喜多郎氏のことばと重なります。真っ青な空に突き射すように尖ったヒマラヤ連峰の絵をじっと眺めていますと、静かにかすかな音をたてて氷河が溶けて流れる音が聞こえてくるような気がします。
 喜多郎氏はアメリカに行く途中いわゆる9・11事件に遭遇し、彼の乗った飛行機は台湾に緊急着陸します。これをきっかけに音楽を通して世界平和に貢献しようと命がけの旅を始めます。そして、次々と名曲を生み出して行くのです。
 去年亡くなられました平山郁夫氏も中国やインドを旅し、大自然の中に溶けこんで生きている人々の文化や生活に触れ、真の平安を求め続け、全人生をかけてそれを表現されます。それらの作品を見ていますと、絵の向方にある宇宙からの壮大なメッセージが、或いは地の底から沸き起こるような叫びが、静かに聴こえてくるような気がするのです。
 過日、薬師寺の壁画が30年振りに公開されるということで早速行って見てきました。その感動は今なお私の心の中で燃えています。
 読書年をスタートした今年も、もう半分過ぎました。携帯電話やパソコンで小説が読める時代になりましたが、そうかと言って日本人の読書熱が高まった訳ではなさそうです。読書形態は時代と共に変わって行ったとしても、ともかく本を読むということから遠ざかってはならないと思います。私達日本人は議論したりコミュニケーションし合ったりすることが下手だと言われていますが、それは語彙力の不足からきているものかも知れません。語彙力は何と言っても読書することで最も身につくものではないでしょうか。伝え合う力のもとは、「話す力・聞く力」ですが、その前提になるものは、「読む力・書く力」です。さらにその元になるものは読書への関心です。本の好きな子どもに育つ環境を整えるのは私達の務めです。
 読み聞かせが大切だからと言って、読み聞かせの押し売りをしてはなりません。子どもの魂にとどくお母さんのやさしい心が実は読み聞かせの最も大切なことなのです。 

2010年度前期「父母の会会報」158号掲載
(2010年9月30日発行)


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