「究極の愛」をいきる

 

ノートルダム学院小学校 校長
シスターベアトリス 田中範子

 かつて5年生で遠泳を体験した卒業生たち10人が、今年も隊列泳ぎの練習日から先生として参加し、当日の浜島での遠泳終了まで実に大きな働きをしてくれました。否、帰りのバスが野々神町に到着して、子ども達の大きくて重いリュックを全部運び下ろすまで何と力強く働いてくれたことでしょう。7月の隊列泳ぎの初日からすべてが終了するまで休まずに参加し熱心に奉仕した若者たち。私は彼らを誇りにしています。
 伴泳中でも、泳ぎに自信のなさそうな子に対しては、ある時はそっと小さな声で励まし、ある時は大きな声で力づけながら、それぞれの子どもの目標達成のために大きな貢献をしてくれました。
 すでに社会人として職業についている卒業生にとっては時間のやりくりが大変だったでしょうし、また、ほとんどがまだ大学生の彼らにとって夏休みはお小遣いの稼ぎ時でもあったでしょうに、いずれも無報酬のこのプログラムを優先してくれたのです。
 私は最近4月と7月に短期間ではありましたがアメリカに行った時に何人かの大学生に出会い、いろいろと話し合う機会がありました。“何のために、何を学ぶためにこの大学に来たのか”、“大学卒業後はどんなことをしたいのか”、卒業生には“なぜその職業を選んだのか”とか、かなり遠慮なく質問をしました。どの学生も自分の将来進みたい道についてはっきりとした考えを持っているのに驚きました。しかも何人もの学生が、“世界の平和や人々の安定した暮らしのために仲間とのコミュニケーションを深めながら自分の最善を尽くしたい”とか、“そのためにはこんなことをやってみたい”、また“アメリカ国家とそのニーズに応えたい”などと、まるでケネディやリンカーンのようなことを淡々と、しかし熱っぽく語るのです。
 日本の大学生などは自己中心的で彼らからはとてもこのような迫力のある夢は聞けないだろう、と決めつけていた私ですが、今回遠泳の手伝いに来ていた卒業生たちと親しく話し合う機会に恵まれ、私は自分の考えを幸いにも変えざるを得なくなりました。
 若者たちと話し合うのがもともと好きな私は一人ずつに、どうして遠泳の手伝いに来てくれるのかと尋ねたところ、「母校愛」だというのです。“ノートルダムが好きなので、卒業しても何かのお役に立ちたい、母も喜んでいます”と。在学中の担任の影響は言うまでもないことでしょうが、それ以前に何といっても育ちの良さに頭が下がります。家庭環境の結果が彼らをここまで育てたのです。人の役に立つことがどれほど大切かということを日常的に体で感じるような空気がご家庭に漲っていたのでしょう。このような卒業生を持てる私たちはほんとうに幸せです。ご家庭の教育力の成果を卒業生が示してくれているように思えます。
 中でも44回卒業の野崎雄大君との会話が今も心に残っています。彼は幼少時より消防士になりたかったとのこと。
 “おじいちゃんが消防士でいつもかっこいいと思っていました。” “中学・高校のサッカー部で鍛えた体力と根性を使って人に奉仕したい”と言うのです。それらを金儲けのためではなく人に喜んでもらえるために使いたいと。ノートルダム学院小学校の教育目標「よく祈りよく学び持っている力をよく伸ばし、それを使って社会に奉仕しよう」がそのまま彼の中に具現化されているではありませんか。
 私は“でも消防隊の中には福島原発事故の際のように、現場に特攻隊のように派遣されて亡くなった方もあるのよ”と言うと、彼は静かに答えました。“わかっています。被災地で救援活動中に命を落とした消防士がいることも知っています。でもそれこそが消防隊の使命だと思っています。人の命を救うこと、僕はそのような仕事に憧れています。”
 ここまで聞いて私はもう胸がいっぱいになり、おもわず彼の手をとり涙しながら、“ありがとう・・ありがとう・・”と繰り返すばかりでした。「友のために命を捨てるほど大きな愛はない」と宗教の時間に何度も聖書のこの箇所を紹介していますが、実際にその心を生きている卒業生を目の前にして彼のご両親とご祖父さまの偉大さに敬服いたしました。幼稚園児が入学の面接時に“将来消防士になりたい”というのはよく聞くことですが、今回、大学生から、しかも本校の卒業生から、将来消防士への道を歩みたいという話を聞き、感動を新たにしました。神様が彼の夢をかなえて下さいますようにと祈ります。

2011年度前期「父母の会会報」160号掲載
(2011年9月30日発行)