新年あけましておめでとうございます
       今年もどうぞよろしくお願いいたします

――― “心にあふれることを口は語る” ――――

 

ノートルダム学院小学校 校長
シスターベアトリス 田中範子


 年の初めにあたり、人が生きて行く上で多分とても大切なことではないかと、日頃思っておりますことについてここに書きとめておくことに致します。
  いつのことでしたか正確には覚えておりませんが、風邪や流感が流行った頃のことです。テレビの番組で、風邪についての特集をしていました。街を歩いている人にマイクを向けては、風邪にまつわる思い出やエピソードについて聞いているのです。いつもは内職しながら見るテレビですが、おもしろそうでしたので、通行人の表情などにも関心をもって見ていました。
 最初は若いOL風の女性でした。
  「小学校の頃、風邪で学校を休んだことがあったが、友だちが給食のパンを家に届けてくれたことがある。それには友だちからの手紙が添えてあり、とても嬉しかった。」
  次はサラリーマン風の中年の男性でした。
  「子どもの頃、風邪で熱のあった時、おふくろが水枕で世話をしてくれたこと・・・」

 急にマイクを向けられても、こんなふうに語れる人を羨ましいと思いました。日本人なら誰でも殆どの人が風邪を引いた経験があるでしょう。でもどれだけの人がこんな素敵な話をすることが出来るでしょうか。私も何度か風邪も引けば、インフルエンザにもかかりましたし、何年か前には出張先でホンコン風邪というものにもかかったことがあります。数日間高熱が続き、体はだるく、しんどい思いをしたものです。勿論周りの方々のお世話にはなりましたし、ご親切に看病もしていただきました。でも、私の場合、自分の苦しかったことのほうが強く記憶に残り、きっと、急にマイクを差し出されたなら、あんなふうに感謝の言葉を思い出として語るような心の余裕はなかったに違いありません。

 人から受けた親切を思い出して、嬉しい気持ちや有難い気持ちになれる人は幸せです。私は、“給食のパンを届けられたお友だち”や“水枕で看病されたおふくろさま”にこの番組を見せてあげたかったです。学校を欠席した友だちのために持って行った給食のパンに、お見舞いの手紙を添えたことが、これほどまでに相手を励まし安らかな気持ちにしたのだ、ということを知らせてあげたい、そんな気持ちになったのは私だけでしょうか。人を平気で騙したり、困らせたりすることがあまりにも多いこの頃だけに、パンと一緒に小さな手紙を添えてあげる心のやさしさに感動します。それに気づいて嬉しく思ったこの方も繊細な心の持ち主です。また、親殺しや子ども殺しのニュースに驚かなくなってしまった最近だけに、水枕で息子の風邪を案じる母親の姿と、それを恥ずかしげもなく、差し出されたマイクに向かって、思い出として語るこの男性にも、素朴な感動を覚えるのです。

 急にマイクを向けられても、こんなに心温まる話の出来る人はそんなに多くないでしょう。ふつうは自分が人にあげたものとか、してあげたことの方が、人からもらったものとか、してもらったことよりも値打ちがあるように思いがちですが、このインタビューに応じられたお二人は、他人から受けた厚意を無意識のうちにそのまま大切にご自身の思い出の引き出しに入れておかれたようです。まわりの人から得たものをごく自然に語っておられました。ほんの一言でしたが、とっさに出た思い出話は素晴らしいものでした。もともと、暖かい家庭にお育ちになり、その中で細やかな心遣いも身につけられたのだと想像しています。
  人は与えられなければ何一つ持つことは出来ないのですから、私たちは子どもが幼い時に十分に与え、体験させておかなければなりません。

―――

大切にされているという実感を。
嬉しかった、楽しかったという体験を。
受けることよりも、与えることの喜びを。

 この方達ご自身がいつも心にぬくもりをもって生きておられるのではないかと思うのです。