かけがえのない命への責任

 

ノートルダム学院小学校 校長
シスターベアトリス 田中 範子

 

 一番大切にしなければならないのは「命」であると誰しもが口にしながら、一番軽く扱われているのが実は「人の命」であるような気がしてなりません。自分の命も、人の命も・・・。
 社会で優先される価値のひとつが、より速く、より多く、より確実に物事が処理できるということですから、人生の歩みの中で道草をしたり、途中下車をしたりしている余裕はありません。掲げたゴールを目指してまっしぐらに突き進むしかありません。本当は道草や寄り道こそ大切な場合があるのですが。
 表向き安定した生活を手に入れるために最も大切なことが犠牲にされつつあるような気がしてならないのです。学校も企業も国の政策も「人は何のために生きているのか」という人生の根本的な問いかけを感じさせるようなプロジェクトを生み出さない限り、一人ひとりの命や生き方が真に大切にされる社会を実現することはできないでしょう。何をするのにも時間のかかる子どもや、どんなに努力しても正確に物事を仕上げることが出来ない子どもがいます。生まれた時から精神的にも肉体的にも大きな試練を担っている子ども、大人の都合で未来への夢を奪われてしまった子どもや、親の過剰な期待のために心が病んでしまった子どもたちが、現実には、私たちの周りにあまりに多く存在しているのです。そして声なき声で私たち大人に助けを求めているのです。
 今、「鈍感力」という言葉が流行していますが、私はこう理解しています。「人間は、自分を大切にするためにもっと自分に鈍感になったらいい。しかし隣人には何倍もの優しさや心遣いのできる”敏感力”を身につけることによって、人としてより成熟していく」のだと。このような生き方が、奉仕の心を育て、社会に役立つ人間の育成につながるのだと確信しています。
 ノートルダム学院小学校では、子どもたち一人ひとりのもつあらゆる可能性が、年間を通して行われるさまざまな活動を含む教育的な環境の中で、ふさわしい時機に開花することを手助けしています。国際人として、社会に奉仕する人間に成長することを強く願いながら。