玉 磨かざれば 光なし

―人は環境によってつくられる―

 

ノートルダム学院小学校 校長
シスターベアトリス 田中範子

 
 
 初めてアメリカに行った時のことを思い出します。アリゾナ州のフェニックスという町はずれの小さな修道院にしばらくの間お世話になっていた頃のことです。修道院のまわりに大きな石ころがいくつも転がっていて、その岩石の中にトルコ石のブルーの部分が混ざっているのに気づきました。子どもの頃石集めに凝った経験から、そのトルコ石の原石を手にした時の興奮は今でも忘れることが出来ません。自分が大富豪になったような気持ちでした。いくつかかけらを集めて、宝物のように大切にしていた私を見ていた一人のシスターが、黒ダイヤの原石を下さいました。トルコ石に黒ダイヤ・・・。もう心臓がどうかなるのではないかと思ったほどです。
 
 帰国後すぐに、貴金属の専門家のところに持って行きました。びっくりされるのを期待していたのですが、あっさりと言われてしまったのです。”このような原石は、いくつもの角を削り、磨きに磨いて、その後で、シルバーとか、プラチナの台に載せて初めて宝石としての値打ちが出るのです”、と。今から思えば、恥ずかし気もなく、よくもまあ、そんなものを持って相談に行ったものだと、穴があれば入りたいくらいです。でも、ほんとうにその通りだと思います。でなければ、アメリカ人が拾わない筈がないのですから。
 
 私は人間の成長についても同じようなことが言えるのではないかと思います。どんなに立派で優れた両親のもとに生まれても、また、もともと豊かな才能に恵まれていても、それに磨きをかけなければ、光り輝くものにはならないということを。
 
 私は子どもの頃、賢いと言われている人は脳の中に脳みそというものがぎっしり詰まっていて、従って重く、頭のよくないもの程、脳の重さが軽いのだと思っていました。
 この頃は脳の研究がすすみ、アインシュタインのような天才と言われた人の脳でも、生まれながらにして特別に大きかったり、重かったりしたのではないということがわかっています。やはり、100億とかいう神経細胞が脳の成長・発達の段階で、ふさわしい時機にふさわしい刺激を得て、鍛え続けられて来たからなのでしょう。
 
 「頭は使えば使うほどよい」とは、私の子どもの時代から聞いていたことばです。でも、どう使うのか、いつ、何を、どのようにすることが頭を使うことになるのかを知った上で、日々、子どもの教育に生かしたいと思うのです。脳に刺激を与え、一つでも多くの脳の細胞の活性化をはかることが大切なのですから、まずは、五感を刺激する環境を子どもに与えることが、家庭と学校の最初の仕事ではないかと考えています。
 子どもを規則正しい生活のリズムに慣らし、身のまわりのいろいろなものごとへの興味や関心を育てていくのは私たち大人の責任です。子どもは、見たり、聞いたり、実際に体験したりして、まずは、体で感じることが大切です。それが喜怒哀楽となって表現され、その勢いが感動となって脳に伝わり、脳を刺激し、脳の活性化を促進するのだと思います。どんな環境に置かれるかで、子どもの未来が決まります。また、その最初の責任は家庭にあるのです。

2007年度前期「父母の会会報」152号掲載
(2007年9月27日発行)