子どもに寄り添う日々(2)



ノートルダム学院小学校 校長
シスターベアトリス 田中範子

 
 学習発表会の前日、リハーサルらしい最後の練習がNDホールでなされていました。160数人が、観客席を囲むようにして並べられた長椅子の上に立って、クラスごとに歌ったり、セリフを朗読したりしていました。私が入った時はみんなお行儀よく手の指先までしっかり伸ばして、背中もぴんと真っ直ぐにして立ち、それぞれ自分たちのパートを歌っていました。全体としては整然としていましたから、たった一人でもふざけると目立つのです。
 みんなが真剣に歌っているのに一人だけニヤニヤし、体もくねくねさせている男の子が私の目に入りました。私はその子に厳しく注意するために足早に近づき、まさに声を荒げて叱ろうとした時、その子の後ろに担任の先生がおられるのに気づきました。何とその先生は正面からではなく、誰にも見えないようにみんなの並んだ列の後ろからその子に近づき、背中をさすりながら、彼に、ふざけないで体を動かさずに、真っすぐに立って歌うようにと注意しておられたのです。
 担任として毎日指導しておられる先生にはその子に最もふさわしい注意の仕方がおわかりだったのでしょう。その子と先生にしか通じない関わりです。みんなの前で恥をかかされることもなく、その子は態度を改めました。正面からどなって叱ろうとしていた自分とは何と大きな違いがあったことか。
 もし、私が列の正面にまでつかつかと出て行ってその子の前に立ちはだかり、厳しく叱ったなら、その子の周辺の子等まで不愉快な気分になり、リハーサルの雰囲気も壊されていたに違いありません。その先生は彼のために祈るようなお気持ちで背中をさすっておられたのではないかと思うのです。
 担任としての日常の子どもとの関わりから、その子の性格や生活態度をよくご存知だったのでしょう。頭から大声で叱っても効果のないことを経験的に知っておられて、そうされたのだと思います。先生は正面からではなく、誰にも気づかれないよう、みんなの並んでいる列の後ろからその子に近づき、言葉ではなく、体でしかも先生ご自身の手で彼の背中を撫で撫でしながら、注意されたのです。何と幸せなやんちゃ子さんよ!まるで母のように寄り添ってもらって、こんな暖かい方法で注意を受けることが出来るのですから・・・。
 
 最近「癒し系」とか「癒しブーム」ということばが流行しています。ストレスの多い現代人の心身を癒し、くつろがせてくれる様々なものが出てきています。代表的なものが「癒し系」のCDとか、「癒し系」の写真や絵画ではないでしょうか。美しく清らかな音楽や名画はいつの時代も人々の心に安心と平和をもたらしてきました。視覚や聴覚を通して心おだやかになれる私たちはあらためて“体験すること”の尊さを知らされます。見たり聞いたりすることのほかに最も心身に確かに感じる癒し「healing」は、「触れること」・「触れられること」によるものだと思います。疲れた時や頭が痛かったとき、親が手を置いてくれたあのぬくもりと何とも言えない安堵感のようなものは、誰もが幼いころに持ち合わせた共通の、しかも、貴重な体験のように思えるからです。
 学校で子どもが大きな怪我をして保健室に運ばれて来た時、私はいつも子どもの目を見ながら、両手で子どもの手をしっかり握ってあげます。私の全身のぬくもりを心をこめて手から手に伝えるのです。少しでも気持ちが安らかになりますようにと祈りながら・・・。
 
 人はあまりにも悲しい時、慰めのことばも出ません。そんな時、黙って手を握ってくれる人がそばに居ましたら、どんなに癒されることでしょう。
 
 私たち大人は子どもの自立を助けるために、成長の初期の段階では、ほんとうの意味で、限りなく子どもに寄り添わなければならない、と痛感するこの頃です。
 
2008年度後期「父母の会会報」155号掲載
(2009年3月14日発行)