音は見るもの、絵は聞くもの

―絵本は心の宝もの―

 

ノートルダム学院小学校 校長
シスターベアトリス 田中範子

 “ハイチ大地震の様子やその大変な状態が載っている新聞記事を切り取ってノートに貼って持って来ましょう”と、朝のテレビ放送で呼びかけましたところ、何と大勢の子ども達がその特別の宿題をやってきたことでしょうか。
 多くの子ども達が、新聞から写真や記事を切り取って、ノートに貼ったり、記事の横に赤線を引いたり、感想を書いたりしてきました。その中でも多かったのは、コンクリート瓦礫の下敷きになった父親らしい男性を、誰も助ける人がいないようで、そばで泣いている子どもの写真や、倒壊した街を背景に、一人ぼっちで無表情に立っている子どもの写真などでした。
 今朝も2年生のひとりの男の子が、日記帳風の自由研究ノートを見せてくれました。そこには「ハイチ地震奇跡の救出」という小見出しで、倒壊した家屋から救助された少女を抱きかかえる救助隊員の写真がありました。その下に、子どもは「自えいたいにはがんばってほしい」と感想を書き、また続けて「神さまにお祈りすることで生きようとする力がわいたのだと思う」と書かれていました。

 この頃の若者は新聞を読まない、と嘆く記事によく出会いますが、読むように仕向けるのも私達大人の務めのように思えます。難しい漢字の混ざった文は読めなくても、絵や写真を切り取ってノートに貼るだけでも、その作業を通して新聞に関心を向けさせることは出来ます。担任の先生の朱書きのほめ言葉が嬉しくて、子ども達はまたやってきます。小学校の低学年の児童にはこのようにして新聞への関心を育てます。結果としてハイチがどこにあるかも知ることが出来ますし、世界の情報にも興味や関心を示し、もっと知りたいというきっかけをつくることにもなります。

 一枚の絵や写真をじっと眺め、その奥にある人間の悲しみ、怒り、喜び、願望のようなものに到達できれば、その絵や写真が持つメッセージにふれたことになります。言い換えれば、絵や写真からメッセージを聞いたことになります。
 シンセサイザーの作曲家の喜多郎さんが、“音は見るもの、絵は聞くもの”というようなことを言っておられたのを思い出します。

 みなさまは、御子様がご入学されるまでは、本好きの子どもに育てるためにまず絵本を与えられたと思います。いつからどんな絵本をどの様にお与えになりましたか。絵本は、一歳で初めて与えるのがよいとふつう言われています。だからと言って美しい絵本を次から次へと量的に与えることは消化不良を招くだけで何にも心に強く残らないでしょう。よい絵本、楽しい絵本、ある時は悲しい絵本、物語の絵本をゆっくりと落ち着いた声で、くり返しくり返し読み聞かせるのです。小さな子どもは食い入るように絵を見て、読み手の声に耳を傾けます。何度もくり返しくり返し聞いているうちに集中力も身につき、絵本のことばもリズムに乗っていつの間にか体内に入って行きます。そういう訓練が幼児期に身についていることが大切です。喜多郎さんのことばのように絵本をじっと見て、絵の奥にある絵本作家の心を感じとれる程に耳を傾けて聞くことの出来る子どもに育てたいのです。

 今年は国民読書年です。昔から「本好きな子どもに勉強嫌いはいない」と言われています。小学校時代は特定の本に偏らず、歴史もの、推理もの、伝記もの等、あらゆる分野のものに触れ、読書することの楽しさを体で覚えてほしいのです。

2009年度後期「父母の会会報」157号掲載
(2010年3月15日発行)