2009年 学校長年賀メッセージ

 

“ 水着が泳ぐのではなく、僕が泳ぐのです ”

新年おめでとうございます。
 多くの困難な課題をかかえながらも、未来に生きる子どもたちの夢の実現を目指し、希望をもって新しい年を迎えました。
 世界中の心ある人々は、今の世界的な危機をどう乗り切るのか、真剣に考えていると思います。私も自分たちの出来ることをもう一度見直しながら、確かなことから始めたいと心新たにしています。海の向こうアメリカでは新大統領が誕生しようとしています。
 オバマ氏はアメリカに必要なことは過去の考えにしがみつくのではなく、未来の脅威に立ち向かうことだと演説の中で言っています。歩むべき道は長く、上るべき斜面は険しくとも、たとえ、4年でたどり着かなくても、そこに向かって踏み出すことが大切なのだ、と。
 オバマ氏と同様、名演説家として知られた、かつての大統領ケネディのスピーチにも、“アメリカは我々に何をしてくれるかと問う前に、我々はアメリカに何が出来るかを問いたまえ”という意味の言葉があったのを思い出します。オバマ氏やケネディの強い意志と行動力から語られる言葉には感動と説得力があります。
 私はオバマ氏がこれ程までに幅広い層からの支持を得たのは、彼しか語れないものを自分の生い立ちの中に持っていたからだと思います。 
 “ Change has come to America ” スピーチの中に、何度もこの言葉がありました。すべてのアメリカ人の心に強烈に残ったのではないでしょうか。このままではいけない、何かが変わらなければならない、すべての人が人間として尊ばれ、お互いに違いを認め合い、支え合い、これからの地球共同体を築き合う関係を育てる使命と責任があるのだ、と言っているような気がするのです。オバマ氏の大統領就任式のスピーチに耳を傾けたいと思います。彼の言葉はこれまででも、全世界の人々に向けて語られているようにも思えました。自分の育った環境を否定したり、呪ったりせず、ありのままを認め、すべてを肯定的に受けとめて語られる、そのひとことひと言には、彼の全存在を賭けた未来への希望を感じます。これが人々の心に響くのでしょうか。

 私が昨年最も心に残った言葉は、“水着が泳ぐのではなく、僕が泳ぐのです” というものでした。これは昨年、北京オリンピックに向けて一秒の百分の一を競い合った水泳界のスーパースター、北島康介選手の言葉です。
 当時、世界の有名水着ブランドが競って世界一軽い水着を製作しました。スイマーたちが試着して泳いでいたのをテレビで見たことがあります。確か、北島氏もそれを身につけて泳いでいたシーンがあったように思います。
 選手達はみんな誰よりも速くゴールにタッチしたいでしょう。スイマーたちは好みの水着を身につけて、泳いでいました。少しでも水の抵抗の少ないものがよいに決まっています。超モダンな水着を製作したデザイナーもその場にいて、選手たちの泳ぎを観察していたかも知れません。“裸よりも速い”、と言われた水着に私も関心がありました。特殊な素材ですから、人間の肌よりもなめらかな感じで、水の抵抗を限りなくゼロに近づけたものなのでしょう。そんな水着なら誰でもほしいと思うでしょう。大して泳げない者でもそれさえ身につければ・・・、とは怠け者の考えることでしょうか。多分、北島氏のような人が一番それを手に入れたい、と思ったとしても不思議ではありません。然し、その彼の言った言葉がこれですから、わたしは感動したのです。
 “水着が泳ぐのではなく、僕が泳ぐのです”
 水着も大切ですが、それを身につけて泳ぐ人の努力、自己鍛錬、厳しさに挑む姿勢こそ、最も重視されてしかるべきなのです。私は、子どもの心身の成長に、どれ程環境が大切かということをよく話します。環境が人を作る、とも言います。けれどもその環境を作るのは、実は“人”なのです。
 私は、今ノートルダム学院小学校60周年に向けて様々な夢を描いています。過去の伝統にしがみつこうとは思いませんが、ノートルダムの伝統を過去から現在、そして未来へと引き継ぎながら、創立以来漂っていたノートルダムの“香り”を、より確かなものへと育てて行きたいと決意も新たにしています。
 神の導きを信じて、未来への新しい一歩を勇気をもって踏み出したいと思っています。
            今年もどうぞよろしくお願い致します。

校長 シスターベアトリス田中範子