子どものように自分を低くする者が天国で一番偉い

―人は環境によってつくられる(2)―

 

ノートルダム学院小学校 校長
シスターベアトリス 田中範子

 卒業の日を目の前にして、6年生のひとりの女の子から大切な教訓を得ました。数日前のリフレタイムの終わり頃に、OAルームの前で、由里ちゃんが何やら先生に注意されているらしい光景を目にした私は、そばに行って確かめることにしました。どうやら、白い壁に鉛筆でほんの少し落書きをしたらしい、または、何かの拍子に鉛筆の芯の先が壁に当たって、落書き風になったものらしい。とにかく、私は自分で上手に指導出来ると自信をもってその場に臨んだのです。
 ”由里ちゃん、落書きを消しておきましょうね。”と声をかけましたが、じっと立ったままで動こうとしません。 ”由里ちゃん、ほら消しゴムでこすったら、こんなにきれいになるでしょう。”と消しゴムを手に握らせようとしますが、ますます体を固くして、二の腕を組み、仁王立ちのようになって、口をとがらせ、私に対して明らかに不満と怒りをあらわにするのです。私は身をかがめて、由里ちゃんの手に消しゴムを握らせようとしますが、それを受けるどころか、逆に、持っていた筆箱を廊下にたたきつけて怒り出し、遂に、床に座り込んでしまったのです。私はさらに身をかがめて由里ちゃんの顔を覗き込むようにして、どうしたものかと、正直思案に暮れていた、その時―――。

 たまたまやって来たのが、6年生の女の子でした。由里ちゃんと私の格闘を見て、とっさに助け舟を出してくれたのです。 ”由里ちゃん どうしたの? 何したの? あら、泣いているの?”と身をかがめるのではなく、床にしゃがみこんで、由里ちゃんと同じ背の高さになって、由里ちゃんの手をとり、自分の方に引き寄せたのです。そして、”どうしたの”と言いながら、由里ちゃんを自分の腕の中にしっかりと抱き込み、背中をさすりながら、彼女の話に耳を傾け始めました。由里ちゃんはすっかり安心して、さらに大きな声でしゃくりあげて泣くのです。まるで、おかあさんの腕の中のように・・・。

 私は6年生の女の子のごく自然にふるまったこの暖かい仕草というか、やさしい心遣いにすっかり我を忘れて見とれてしまいました。そして心から感動しました。今思い出しても涙が出てきます。そのあと、由里ちゃんのことがどうなったか、もう問題ではありません。彼女の出現ですべては解決したのです。

 由里ちゃんは私達への神さまからの贈りものです。由里ちゃんの存在は、私達に大切なことを気づかせてくれます。この光景があまりにも私には美しく思えたものですから、先だっての6年生の宗教の時間に、その女の子のいるクラスで私の感動を分かち合いました。その子の名前は伏せていましたのに、本人の方から、”シスター、私には由里ちゃんと同じ障がいをもった妹がいるのです。”と言ってくれたのです。私は、またまた涙がこぼれんばかりに感動しました。ああ、ノートルダムとはこういう学校なのだと・・・。彼女がどれほど障がいをもって生まれてきたその妹をかわいがっているか、想像に難くないです。そして、その同じやさしさで、由里ちゃんを見ることが出来ていたのです。幸せな妹!そして、由里ちゃん!

 「人は環境によって育ち」 また、「環境は人を育て」ます。子ども達に教育的環境を整えるのは学校の重要な役割です。けれども、どんなに立派な施設や設備よりも、大切なものがあることを忘れてはなりません。それは人です。暖かい心です。子どもを受け入れ、認め、価値づけ、励ます大人に出会える環境を整えることではないでしょうか。

2007年度後期「父母の会会報」153号掲載
(2008年3月15日発行)