その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように。」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」 (ヨハネによる福音 20:19 - 23)

 9日の日曜日は聖霊降臨の祝日でした。
 イエス・キリストは十字架上での御逝去のあと3日目に復活なさり、ガリラヤ湖の周辺で弟子たちに何度か現れて力づけられ、世の終わりまでそして地の果てまでキリストの証人として神のメッセージを述べ伝えるようにと言い残して、40日目に神のみもとに帰られました。それを御昇天(の主日)と言います。また、その折に弟子たちに息を吹きかけ、"聖霊の恵みを受けよ"、とおっしゃっています。創世記の、「主なる神は、土のちりで人を形づくりその鼻に命の息を吹き入れられた」とあるのを思い起こします。聖書ではしばしば霊・風・息は同じ意味に使われています。旧約聖書のエゼキエル書(15:11)では「霊よ四方から吹き来れ。霊よこれらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返る」と書かれています。最初の人間の創造の時、神の息が吹き込まれて、人間が神の似姿、神の写しとして存在するようになったのと同じく、イエスは今、弟子たちに神ご自身の聖なる霊の恵みを弟子たちにお与えになり、神の子、しかも神の子の姿に似たものとされるのです。
 イエスが与えられる聖霊は、罪さえも超える力をもつ「恵」なのです。"わたしが愛したように互いに愛し合いなさい"と言われた、イエスのことばを実際に生きるためには、自分の力だけでは不十分です。神さまから特別の力としての「聖霊」を送ってくださるよう祈りましょう。キリストの使徒パウロは新約聖書の中で、聖霊について「『霊』を結ぶ実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(ガラテヤ5:22)と述べています。
 9日は聖霊が弟子たちに注がれたことを記念する日で、昔から『聖霊降誕の主日』として祝われてきました。
 かつてキリスト者同士が挨拶の言葉として互いに交わしていたという"Peace be with you"(平和がありますように)を、私たちも最も近い者同士、まず互いに「Peace Be With You」と挨拶を交わしてみてはいかがでしょうか。