10月3日、6年生が山の家で修養会を迎えました。

 

入学してから、自然の中での体験を通してたくさんのことを学んできた6年生ですが、卒業まであと半年あまりとなったこの日は、心の成長のための大きな糧を得ることができました。

校舎1階の教室に全員が集まり、修養会が始まりました。

 

「May God be with you 」(神様がいつもあなたとともにいてくださいますように)と書かれたしおりの中の「修養会のめあて」を全員で読み上げ、この日の目標を確認しました。

修養会のめあて

  • 一日中、沈黙で自分を内省する。そして、神様の導きを知る。
  • 自然の中で、与えられた命・時・出会いを大切にする。
  • 神様から与えられた恵みを感謝する。そして、ほかの人を大切にする心を持つ。
  • 祈る時、神様がともにいてくださることを知る。

この修養会には、名古屋から駆けつけてくださった西径一神父様をはじめ、学校長、教頭ら本校の教師たちに、ノートルダム教育修道女会からの応援も加わり、総勢14名が指導に当たりました。

 
 

西神父様は、神言会の神父様であると同時に、名古屋の南山中学校と高等学校の校長先生をしていらっしゃいます。この日の学習の中心となる「神父様のお話」は、現職のご経験からのエピソードがふんだんに盛り込まれ、実感が強くわくものでした。6年生は、時には笑いを誘われながら、神父様のお話に惹きこまれていました。

 
 
 

お話を聞いての振り返りが、校舎の外でおこなわれました。薄日の射す中に、すがすがしい秋の空気がただよいます。6年生出席者162名の沈黙が、遠くの虫の音を心地よく響かせました。思い思いの場所で、神父様のお話を思い出しながら、みずからを省みる時間がゆっくりと流れていきました。

 
 
 

「分かち合い」は山の家での修養会の締めくくりとなる大切なひとときです。グループに分かれ、お互いの話に耳を傾けます。自分の思い、考え、学びなど、どんなことを言ってもかまいません。ほかの人たちは、反論や批判など一切せず、その人の発言にじっと聴き入ることが「分かち合い」のルールだからです。グループのメンバーに自分の話をじっと聴いてもらうことで自尊感情が、また、人の話を真剣に聴いてあげることで相手を受け容れる気持ちが生まれます。

 
 

夕方、学校にもどり、児童全員の保護者も参加して、「み言葉の祭儀」のミサにあずかりました。山の家で学んだことをさらに深め、強いものとして自分の中にしっかり落とし込みます。

 
 
 
 

各クラスから3人の代表の児童が、「共同祈願」の中で、しおりにまとめた文を読み上げていきました。そのどれもが、西神父様のお話から得られた心の糧でした。「ひとりとしてのかけがえのない自分の存在」、「目に見えないものの価値」そして「ひとつの物の背景にある苦労や努力に対する感謝の心」でした。3つ目の「…感謝の心」について、神父様が話されたエピソードを紹介します。
神父様の学校でも、上靴のかかとを踏んだまま校内を歩く生徒がいるそうです。注意してもなかなかサンダル履きが直りません。そこで神父様は、上靴の製造工場を訪れました。そこで見たものは、事情で昼間に勉強ができず、定時制の高校へ通っている若者たちが、流れ作業の中で額に汗を浮かべて黙々と靴を作っている姿でした。「確かにお金を出して買った靴です。しかし、その靴を作ってくれた人たちの苦労や、その靴を履く人に対する誠実な気持ちを考えたら、君たちはかかとを踏みながらその靴を履くことはできないはずだ」と神父様は南山の生徒に語りかけたそうです。

 
 
 

「み言葉の祭儀」は神父様からの按手で終わりました。児童、保護者、教師全員が、聖堂となったNDホールで列を作り、神父様の祝福を受けました。

 
 


修養会を終えて、子ども達が書きとめた感想(その1)感想(その2)をご一読ください。