明日の始業日に向けて、夜になっても教員は最終準備のために黙々と仕事をしていました。
 私はちょっと学校を抜け出して、7時半からのミサにあずかるため、北白川教会へ向かいました。今日は、8日の「復活の主日」の3日前の「聖木曜日」ですが、ミサの中で「洗足式」というのがありました。イタリア人の神父様が大きな体をかがめて聖堂の床にひざまずき、私の足も洗い、そして足の甲に口づけをしてくださいました。
 日本語で足を洗うと言えば、「悪い習慣をやめる」という意味になりますが、カトリックでの足を洗うという儀式は、イエス・キリストが最後の晩さんの前に弟子たちの足を洗う場面を模したもので、イエスが弟子たちを「この上なく愛し抜かれ」また「仕えられるためではなく、仕えるために来た」ことを表すためにこれをなさった事実を示すためにおこなわれるのです。
 今回、本校の校長の重責を担うに当たり、ノートルダムの輝きをさらに大きなものにしていくために、「仕える」という心構えは私がこの先、常に持っておかねばならないものだと考えさせられる夜でした。