待降節も第3週を迎えます。聖書に耳を傾けましょう。

「皆さん、いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、イエス・キリストにおいて、神があなた方に望んでおられることです。“霊”の火を消してはいけません。すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。」 (テサロニケの人々への書簡より)

 悩み事や心配ごとがいくつもある世の中で、“いつも喜んでいなさい”とは・・・。そうです。喜べる材料がいっぱいある時に喜ぶのはたやすいことです。誰にでも、そして、いつでもできることです。思い通りにいかない時、努力しても報いられない時、自分の意図に反して事故にあったり病気になったりした時こそ、ふと、この個所を思い出してみるのはいかがでしょうか。どんな試練の中にあっても神様は誰かを通して、大切なことに気づかせてくださいます。それを「恵み」として受けとめられる時、苦しみや、悩みの中にあってもそこには感謝とよろこびが生じるのではないでしょうか。そこにたどり着くためにはかなりの時間とエネルギーを要することでしょう。なぜなら、“絶えず祈りなさい”とも書かれているからです。苦しみそのものは、何の価値もないものですが、それが誰かのためにささげられる時、それは単なる苦しみにとどまらず、耐えやすい苦しみに変えられ、遂に喜んで甘受できる苦しみにまで高められます。それを愛と呼ぶような気がします。

 待降節とはラテン語のアドベントゥスから来ています。到来とか来訪・到着という意味だそうですが、今こそ、私たちは神の子キリストの到来を待ち望んでいます。子ども達は12月の月目標「献身」についてたびたび話を聞きながら一つでもすすんで善行に励み、心を清めてイエス・キリストを迎える準備をしています。どうぞ、おうちでも、クリスマスを祝うための小さな犠牲・善行の実践がすすんでできますよう子ども達を励ましてください。小さな我慢を喜んで捧げながらも毎日、笑顔で明るく楽しい学校生活ができますようにと願い祈っています。