6年生は修養会の一日をすごし、自分と向き合いました。神父様からお話をうかがい、沈黙して考え、気づいたことを書きとめました。その一部をご紹介します。

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 神父様のお話で、物にはかならず、背景があり、目には見えない背景を考えることを教わりました。物は、絶対に、誰かが一生懸命、心をこめて作った物なのだから、これからは物を作った人の事を考えて、使っていきたいと改めて思いました。人間は「かけがえのない1人」だということを教わりました。目で見ていてわかっていることを言うのではなく、目に見えないものに気づいて行動に移すことが、「愛」とつながる事を教わりました。修養会で、心を静かにして、自分自身をみつめることができたと思います。これまで、自分が見たこと、聞いたこと、出会った人のことなどを思い出して、自分自身の行いを反省し、これからは、どうしたらよいのかを心の中で考えることができました。(竹村知紗)

 

 修養会で少しでも沈黙することで心が安らぐことがわかりました。神父様の話は心にひびきわたりました。この世でただ一人の自分。一人、二人などでは数えられないような人の個性をぼくは大切にしたいと思いました。前の物を見るだけでなく、中身も見とおせるような人になりたいと思いました。これからは祈り、沈黙を大切にしていきたいです。(野本裕右)

 

 神父様は目に見えない所が大切だという話をされました。私は毎日ごはんを食べ、学校へ通い、習い事にも行けます。でもそれは全てかげで支えてくれるみんなのおかげです。料理を作り、家事をしてくれるお母さん、朝早くから仕事をしてくれているお父さん、他にも学校の先生や農家のみなさまなどもいます。もしかしたら、通りすがりに会う人々にも支えられているのかもしれません。午前中はそんなことを考えさせられました。(宮村梨花)

 

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 神父様の話で物の尊さの意味がよく分かったと思います。自分は、すぐに物を使い終わったりしていたから、これからはそのものの背景をよく見るように気をつけ、大切にしていきたいと思います。また分かち合いでみんなのいろいろな意見や感想を言い合って、良い経験になったと思います。みんなで、わかち合った意見や感想を、将来のためにいかして「見えない物を見る目」を育てていきたいと僕は思いました。(福西正樹)

 

 私は今日、修養会に参加して、いつもは自分は見つめられていないけれど今日は、自分を見つめることができました。今までの自分を思い出すと共に反省もしました。これからは反省したことにより、自分の悪いことを良い方向へして行きたいです。私がとくに印象深いのは神父様のお話です。神父様は“人によって作られたものには必ず背景がある”とおっしゃっていました。よくよく考えてみるとたくさんの人の手によって、物は作られているんだと実感しました。私は物を今まであまり大切にしていなかったと思うととても悲しい気持ちになりました。だからこれから物を使ったりする時には、よく背景を考えてから使うということを心がけていきたいです。また、2回目の神父様のお話では“自分”という存在についてお話して下さいました。自分はかけがえのない1人ということをあらためて感じられ、良かったと思いました。(植松里佳)

 

 神父様の話を聴いて、ものがあるのは人間が作っているからで、人間がいるのは神様が作ってくれたからで、人間を作ってくれた神様に感謝したいと思う。“目に見えないものを見る”ということをいつも頭に置いて考えようと思いました。『愛』は、目に見えなくてどのようなものか分からないけれど、これから先、年をつみ重ねると同時に、『愛』というものを探していきたいと思います。先生は『愛』とは、深いものだと言っていました。これからは“命”を大切にし、“目に見えないもの”を見ることを意識して行動したいと思います。(小川果倫)

 

―自分をふりかえって黙想し、気づいたことが、これからもずっと心の糧となりますように―


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