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学校長メッセージ

学校長メッセージ <2015年度後期>

学校長メッセージ <2015年度後期>

山の家雑感

ノートルダム学院小学校 校長 行田隆一

ノートルダム学院小学校 校長
行田 隆一

 

 本校の大きな自慢のひとつ、それが山の家です。
 山の家は創立30周年記念事業として1984(昭和59)年6月30日に竣工しました。棚田を含む里山に校外学舎を開くに当たって、2つの課題がありました。水とアクセスです。それを解決したのが池田正太郎先生でした。池田先生は京都市の教育委員長を退職されてからノートルダムへ来られ、理事長もお務め下さいました。現在、山の家学習の日のお昼はおにぎり弁当となっていますが、その前はお弁当でした。中には豪華なお弁当を持ってくる子もいましたが、池田先生が「ひと月に一回ぐらいは粗食にして、食べられることのありがたさを感じさせたらどうや」とおっしゃってからおにぎり弁当になって今に至るのです。このように山の家は、物にあふれ豊かな普段の生活への感謝の心を養う学習の場でもあるのです。
 私が本校に奉職した平成元年は、夏休み中に4・5・6年生の合宿が連続でおこなわれていました。2クラスが一泊二日の合宿を終えて帰る時に次の2クラスが入れ替わりにやってくる、というわけです。その間、一度も家に帰らずに合宿に参加し続けた若き教師がいました。枡本先生(今年度2年生担任)です。彼の体力と気力に敬服したものでした。扇風機もなく、暑くて寝苦しい夜を耐え続けた連泊の猛者でした。
 その翌々年の合宿では夜中にハプニングが起きました。4年生の男子の添い寝をしていたのですが、「ギャー」という声で起き、大きな懐中電灯をつけて悲鳴の先を照らすと、体調15センチほどのムカデが逃げていくのが見えました。布団の上でA君が泣いていました。ムカデに首筋を這われたらしいです。しゃくりあげながらA君が言いました。「なんで僕のとこだけくるんや!」
 夏休みの合宿は、裏山から切り出した木材を使っての階段づくりが一番ハードな作業でした。かまどのあるところから校舎下への階段づくりで、スコップで土の段を作り、ふちに丸太をあてがっていくのです。炎天下で玉の汗を流しながら精を出したものでした。卒業生で現在、本校で教師をしている遠藤(1年生担任)・一柳(6年生担任)両先生に「山の家での一番の思い出は」とかつて尋ねてみたら、「木を運んでの階段づくりのしんどかったことと言ったら。」と異口同音でした。でも、午後は駐車場の南側を流れる和迩(わに)川の支流で川遊びをしたり、夜は駐車場でキャンプファイアをしたりとか、楽しい催しもありました。
キャンプファイアから少し離れると、ホタルがいっぱい飛び交っていました。夏の風物詩でしたね。また、校舎の裏山のクヌギの木にはカブトムシやクワガタがこれまたいっぱい樹液を吸いに集まっていたものです。今は川にも入れなくなり、ホタルもカブトムシもほとんどいなくなってしまいました。でも、サル、イノシシ、シカ、リス、ムササビはいます。四半世紀前に比べたらちょっとさびしくなった感じですが、まだまだ山の家の自然は、良い教育の場を提供し続けてくれています。
 竪穴式住居が作られたきっかけは、6年生のひと言です。当時、修学旅行は今のような形態ではなく、5月に東海方面へ全員で旅行をしていました。その訪問先の一つが登呂遺跡だったのですが、平成2年の修学旅行の事前学習で登呂遺跡の竪穴式住居の資料を見た6年生が教師に、「先生、僕達も山の家に竪穴式の住居を作ろう」と言い出し、それを受けて登呂遺跡の実物大の竪穴式住居の青写真ができました。7月の合宿で6年生は、裏山から業者の方が切り倒したヒノキの間伐材を住居の柱に使うため、男女の区別なく力を合わせて斜面を引きおろしてまで運びましたが、それはそれは重かったです。水分をたっぷり吸い込んでいる生木だったからです。木はできるだけ早く切らねばならないので専門職人のきこりさんに頼み、ヒノキの皮むきは6年生がおこないました。木のへらを使って、丁寧にむいていきましたが、現れた木肌の美しさは子ども達も忘れていないことでしょう。事情で作業は年を越し、業者さんの力添えをいただきながらも、北部の久多から仕入れた茅を住居の一番下のみ6年生が張ったりして、平成3年10月に完成したのでした。
 山の家の一番のエピソードは、と聞かれたらB君のことをいつも話しています。彼が6年生の時、山の家学習の前日に高熱を出しました。でも、彼は翌日、まだ下がり切っていない熱を押して登校したのです。その事情をたまたま知っていた私は、「大丈夫かい」と聞きました。するとB君は、「山の家は休みません」と答えたのです。
 現行の「総合的な学習」のさきがけとして山の家は生まれました。今年で31歳となり、今の在校生を入れると5,000人を超える子ども達のお世話をしてくれた勘定となります。自然と神に対する畏敬の念を軸に、成長し、よく生きるための支えとなる力を子ども達の内に育むため、山の家はますます進化していくことでしょう。

 

2015年度前期「父母の会会報」168号掲載
(2015年9月30日発行)

登録日:2015年10月23日/更新日:2015年10月23日

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