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校長ブログ 7月1日(金) 愛の殉教者

登録日:2016年7月 1日/更新日:2016年7月 1日

『わたしがあなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。』 (ヨハネ15章12・13節)

 

 今日は、上記の聖書の言葉を身を持って実行した人を紹介します。その人は、コルベ神父と言います。本名は、マキシミリアノ・マリア・コルベです。コルベ神父は、1930年5月に日本の長崎に来て、キリスト教を広める事を仕事としていました。その手段として、日本語で『無原罪の聖母の騎士』という冊子を作り、キリスト教のことを知ってもらおうとしました。
 会議のため1936年にポーランドへ帰国したコルベ神父でしたが、第2次世界大戦が始まり、1939年ドイツ軍がポーランドを占領した後、他の修道士や神父と同様に収容所に送られました。1941年夏、コルベ神父が、アウシュビッツ収容所で強制労働をさせられていたとき、事件が起きました。同じ班の中で、1人の脱走者が出たのです。見つからなかったので、連帯責任として、10人が無差別に選ばれ、処刑されることになりました。そのときにコルベ神父は、10人の中に入ってはいなかったのですが、1人の人の身代わりになることを申し出ました。「私は、カトリックの神父です。妻も子もいませんから・・・。」申し入れは聞き入れられ、コルベ神父を入れた10人が1つの部屋に入れられ、食べ物も水も与えられず、死を迎えるだけの時を過ごすことになります。普通は、絶えず叫びやうめき声が聞こえるのですが、コルベ神父の部屋から、ロザリオの祈りや賛美歌が聞こえてくるのです。コルベ神父は、苦しみの中で人々を励まし、仲間の臨終を見送りました。2週間後、最後まで残ったコルベ神父は、死を早める注射を打たれ、8月14日、永遠の眠りにつきました。この日は、聖母被昇天祭の前日でした。

 7月の月の言葉は、「奉仕」です。コルベ神父のこの行動は、究極の奉仕と言うことになりますが、私たちは生活をしていく中で、どんなに小さな事でもよいので何か他の人のためにできる奉仕を考えて実行しましょう。
 手助けを必要とする人は、少なからずいます。周りに目をむけて、気づき、手をさしのべることができるようにしていきましょう。

登録日:2016年7月 1日/更新日:2016年7月 1日

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