ページの先頭です 本文へスキップ
ここからグローバルメニューです
グローバルメニューはここまでです 先頭へもどる ここからページ内容です
  1. ホーム
  2. 学校長ブログ
  3. 校長ブログ 6月27日(月) 良いサマリア人のたとえ話

学校長ブログ

校長ブログ 6月27日(月) 良いサマリア人のたとえ話

登録日:2016年6月27日/更新日:2016年6月29日

 ルカによる福音書の中に有名な「良いサマリア人のたとえ話」があります。

「ある人がエルサレムからエリコへ下っていく途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱して下さい。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

 このたとえ話の前には、律法の専門家がイエス様に「永遠の命を受け継ぐにはどうしたら良いですか」と尋ねます。当然、専門家ですから、正しい答えを知っているわけです。イエス様がどんな答えをするのか試したのでしょう。『永遠の命を受け継ぐ』には、「神の国に入る」、「心を喜びで満たす」、という意味があります。イエス様は、自分で答えるのではなく、その専門家に答えを聞き返します。「全身全霊で神様を愛すること。また、隣人を自分のように愛すること。」と答えます。正しい答えをしたにもかかわらず、「わたしの隣人とは誰ですか」とまた聞き返します。そこでイエスさまは、このたとえ話をしました。
 このたとえ話に出てくるある人とは、イスラエル人で、サマリア人とは仲が悪いのです。ある祭司とレビ人は、神様に仕えて働いている人たちなので、当然、半殺しの人がいたら、助けなければならないと知っていますが、実際には助けることができませんでした。しかし、仲が悪かったサマリア人は、「その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した」。仲が悪かったにもかかわらず、顔も見たくないくらいいやだったにもかかわらず、目の前に困っている人がいたら、仲が悪いかどうかは関係なく、このサマリア人のようにその人を助けるのは当たり前の行為なのでしょう。
 私たちは、自分のことだけで頭が一杯になり、それを中心に生活していることが多くあります。少しだけでも他の人々の事を考える余裕を持ちたいものです。祭司やレビ人のように頭で分かっていても実行できない人ではなく、いざとなったときのために、いつでも習った事を生かすことができるように、普段から意識して勉強した方が良いでしょう。

登録日:2016年6月27日/更新日:2016年6月29日

ここからサブメニューです

学校長ブログ

校長ブログ 3月3日(金) 大縄大会

 3月になりました。今年度も残り1ヶ月です。 各学年で大縄大

更新日:2017年03月03日(金)

続きを読む

過去の活動

サブメニューはここまでです

ページの上部へ

ここからページの本文です ここまでが本文です 先頭へもどる ここからこのウェブサイトに関する情報です ここまでがウェブサイトに関する情報です このページに関する情報は以上です 先頭へもどる