3月16日(月) 開かれた手
登録日:2015年3月16日/更新日:2015年3月16日
「マカオには、世界遺産になっている教会がたくさんある。」そんな評判をうけて、過日マカオへ行きました。
アジアらしい文化が混じった教会も魅力的でしたが、私のお目当ては聖ポール天主堂。東洋におけるキリスト教の拠点であり、江戸時代に日本を追われた日本人キリシタンがファザードの作成に携わったと聞いていたからです。大火事で建築時の姿を残してはいませんが、東洋一壮大で美しいと言われていた通りの迫力ある教会でした。五百年以上前の日本人キリシタンの手仕事が文化として今も残り、世界遺産としての道を歩んでいることに静かに心を動かされました。
このように人は、その一生よりもはるかに長い時間を生き続けるものを生み出すことができます。その行動的な手を「開かれた手」と言います。物を作ったり受け取ったり、誰かに思いを伝えたりそんな力を持っています。
例えば杉浦千畝さん。戦争中にドイツにいたら命が危ないユダヤ人にビザを出し続けて逃がしてあげた人です。彼の手が書いた一つのサインが一つの命を救いました。匠の技を持つ人間国宝の手、長い時を経ても人の心を動かし続ける音楽家の手、ゴットハンドと呼ばれる名外科医の手。
聖書では、手についてこんな風に書かれた一説があります。
『おろかな者もかしこくなる。
もしあなたも 正しい方向に思いをはせ、神に向かって手を伸べるなら
晴れ晴れと顔を上げ 動ずることなく、恐怖心を抱くこともないだろう。』 (ヨブ記より)
残念なことに人間には良い心と悪い心があります。開かれた手は常によいことをするのではなく、時として悪魔も驚くほどの悪いこともやってのけるのでしょうか。命を奪うのもまた救うのも人の手。よくも悪くも手は、人間を人間らしくするのだろうかと考えた四旬節の日曜日でした。
稲光千賀子
登録日:2015年3月16日/更新日:2015年3月16日