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10月16日(木) ロザリオの月 「ファティマの聖母」

登録日:2014年10月16日/更新日:2014年10月17日

 ロザリオの月と言えば「ルルドのマリアさま」か「ファティマのマリアさま」の御絵を思い出す子どもたちが多いのではないかと思います。今日はファティマのマリアさまについてお話します。
 今から100年位前に、ポルトガルの首都リスボンより北東に150㎞ほど離れたファティマという村で実際に起こった出来事です。1917年5月13日、3人の牧童に聖母マリアさまがご出現になったのです。マリアさまは3人に毎月13日に会う約束をされます。
 ルチア(10歳)、フランシス(9歳)、ヤシンタ(7歳)の3人の子どもたちに、世界の平和のためにロザリオの祈りを熱心に唱えるようにと言われました。人々は毎月13日になると、マリアさまを一目見ようと方々から集まってきましたが、マリアさまはこの3人以外には見えませんでした。ルルドのマリアさまのお話とどこか似ているように思いませんか。

 マリアさまはこの3人の子どもたちに、3つの予言を言い渡されます。二つ目まではまもなく明らかに されましたが、三つ目のものは1960年まで公にしてはいけないと言われたのだそうです。人々は早くこの第三番目の予言を知りたいと教皇様に願い出ましたが、何故か発表されませんでした。

 シスターが子どもの頃、まわりの大人たちが「ファティマの予言が・・」と騒いでいたのを覚えています。何か怖いことが起こるのではないかと噂されていました。一番幼かったヤシンタはマリアさまのご出現のあと、まもなく亡くなります。そして、数年後にはフランシス少年も亡くなります。ルチアだけがずっと生きていたのです。ルチアは教皇様に三つ目の予言を発表するようにとお願いしましたが、直ぐにはなさいませんでした。ルチアは、周りの人々から、マリアさまを直接見た人、ということでもてはやされるのを好まず、遂に修道院にはいりました。2005年2月13日、ルチアはカルメル会修道院で静かに亡くなりました。97歳でした。
 あとで教会が発表したことによりますと、三つ目の予言とは、教皇様の暗殺に関するものだったとか言われています。実際に1981年5月13日、ヨハネ・パウロ2世教皇様はサンピエトロ広場でトルコ人に銃撃されたのです。重症を負われましたが、奇跡的に一命を取り留められました。この日が5月13日でしたので、教皇様は「聖母が弾をそらして下さった」と語り、後にファティマに感謝の巡礼をなさいます。この銃弾の弾はファティマの大聖堂の聖母像の冠の中に収められていると言われています。教皇様は2年後、刑務所の狙撃犯に会って、その罪をお赦しになります。
 ヨハネ・パウロ2世は世界平和と戦争反対への呼びかけを熱心にされた教皇様として有名です。実際に100か国以上の国々を訪問されました。日本には狙撃事件のあった同じ年の2月に来てくださり、広島や長崎を訪問されています。
 ファティマの聖母は「ロザリオの聖母」と呼ばれています。ルチアの死後も多くの人々がファティマを訪れ、聖母を讃え、聖母の取り次ぎを願ってロザリオの祈りを捧げています。今でも世界各国から多くの人々がルルドへの巡礼と同様、ファティマにも巡礼に行きます。私も5年前公式巡礼団に加えていただきファティマを訪れ、ルチアのお墓の前で祈りました。
 ファティマの聖母、ロザリオの聖母、世界の平和のために祈ります。

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シスターベアトリス田中

登録日:2014年10月16日/更新日:2014年10月17日

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