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12月5日(木) 「イゴヨクサカエタキリスト教」 "1549 栄えた キリスト教・・"

登録日:2013年12月 5日/更新日:2013年12月 5日

 中学入試を経験した者にとっては何と懐かしい覚え方でしょうか。私が6年生に社会を教えていた頃も、子どもたちは、こんなふうにして年表を覚えていたようです。

"くだらにごさんぱい"(538年 仏教伝来)

"ならのみやこでしちをとれ"(710年 奈良に遷都)

"なくようぐいすへいあんきょう"(794年 京都に遷都)

"はくしにもどせけんとうし"(894年 遣唐使廃止)などなど・・。

 これら語呂合わせが、よいリズムになっていますので、歴史の年代を楽しく覚えることが出来ます。こんなことを最初に考え付いた人は大したアイデアマンです。私はこの手の覚え方でいくつもの年代を覚えたものですから今でもスラスラ出てきます。子どもの頃に意味がわからなくても覚えることはこんなふうに得をすることがあります。きっと皆様の中にもこの手の覚え方で社会科のテストの点を稼いだ方がいらっしゃるのではないでしょうか。百人一首もこんなふうにして、意味が判らなくても、お経のように何度も何度も唱えているうちに覚えていくものなのです。お子たちに、お正月の頃に全部覚えさせてご覧になってはいかがでしょうか。

1949.5.27から15日間、日本上陸400年記念の式典が各地で行われました。小学生の私はフランシスコの右腕を見るため、岡崎公園までの行列に参加しました。

 さて一昨日は聖フランシスコ・ザビエルの祝日でした。今日は、"以後よく栄えたキリスト教"について、ほんの少しおさらいしておきましょう。

 「1549815日」、それは日本の歴史を変えた日です。フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えた日で、その前と後では日本の歴史が全く変わるのです。今、ノートルダム学院小学校がここにあるのは、フランシスコが日本にキリスト教を伝えて下さったおかげです。
 スペインのザビエル城で生まれたフランシスコは貴族でした。日本ではフランシスコ・ザビエルという名で知られています。20歳でパリ大学に学び、24歳で哲学の教授になり、"成績優秀"、"頭脳明晰"、"容姿端麗"、"明朗快活"な紳士だったように私には思われます。後にイグナチオ・ロヨラと共にイエズス会の創立に関わりました。そして「人は全世界を手に入れたとしても自分の命を失ったら何の益があろうか」(マタイ16:26)という言葉に出会います。それからというもの、「地の果てまでも神の福音宣教に命をかけよう」と決心するのです。アフリカの喜望峰を回ってようやく日本に到着したのは43歳の時でした。日本滞在はわずか2年間でしたが、フランシスコの燃えるような神への情熱の火は、人から人へと燃え伝わり、なが~いキリスト教迫害の歴史の間も絶えてしまうことなく、多くの殉教者を出しながらも、その火は消えることなく密かに引き継がれ、今日の私達がしっかりと受け継ぐに至ったのです。
 46歳で亡くなられたフランシスコのご遺体は今も腐敗することなく、インドのゴアの教会の祭壇の下に安置されています。私はインドに行ったときにご遺体の前で祈りました。大柄な体格でいらしたようで、大きな長靴が横に置かれていたのを思い出します。かっこいい、"イケメン"・フランシスコはそのすべてを神にささげた献身の鑑だと私は思っています。 12月の月目標は「献身」です。

 聖フランシスコ あなたの愛した日本のために、そして世界の平和のために お祈りください。

シスターベアトリス田中

登録日:2013年12月 5日/更新日:2013年12月 5日

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