カトリック教会では11月を「死者の月」と呼び、亡くなった方々のために祈りを捧げます。
 「死ぬ」ということは、子どもたちにとってあまり身近なことではありませんし、「怖い」という思いが先に立ち、あまり考えないようにすることなのかもしれません。しかし、本校では毎年「死者の月の集い(低学年)」と「死者の月のミサ(高学年)」が行われ、本校につながるすべての死者のために祈りますので、宗教の時間に「死」について、子どもなりに考えます。

 「死」はこの世に生まれてきたすべての人に、必ず訪れるものです。どんな人でも避けて通ることはできません。「死」を考えることは、「命」を考えることです。私たちは、多くの人の命のバトンを受け継いで、神様の愛を受けて生まれてきました。その命を大切にし、神様からいただいた多くの力を使って他の人のために奉仕をし、次の世代に命のバトンをしっかりと渡さなければなりません。子どもたちには、「よく生きること」が「死の準備」なのだという話をしました。

「先生、わたし、1回だけかみさまを悲しませたことがあるの。死んだとき、かみさまのところに行けますか。」
授業の後、3年生の女の子が質問に来ました。
「神様はとても優しい方だから、自分で悪かったと気づいて『ごめんなさい』って謝ったら、必ずゆるしてくださるよ。だから心配しなくても大丈夫。」
と答えました。

 その次の授業の後、先ほどの女の子が、また私のところに来て笑顔で言いました。
「先生、死ぬっていうことは、かみさまが『合格!』って言ってくれることだと思います。」
あまりにも素敵な言葉に、胸が熱くなりました。
 私もいつの日か、神様に「合格」って言ってもらえる時まで、この世で精一杯生きていきたいと思います。

宗教専科  原山 裕子


中央階段下の掲示板・今月の掲示

 死者の月の集いとミサは、明日11月9日(火)に行われます。保護者の皆様、どうぞお越しくださり、ご一緒にお祈りください。