先日行われたマラソン大会の翌日は、全校児童、お弁当の日でした。
(マラソン大会の予備日のため、この日は給食はありませんでした。)

クラスのみんなに、「お弁当、祈りの森で食べたい?」と声をかけると
「食べたいー!」と、われんばかりの返事です。

ということで、初春の香りただよう祈りの森へ、クラスのみんなとお弁当を持って出ました。
(祈りの場所ですので、自然観察などの授業以外では、普段は入れないのです。)

                《祈りの森でお弁当を楽しむクラスのみんな》

おいしそうなみんなのお弁当を見ていると、ふと昔の自分を思い出しました。
中学時代、毎朝、母親はお弁当を持たせてくれましたが、決まって中身は白ご飯と、おかずが1品~2品。
前日の夜ご飯の残りがそのまま入っていることもしばしば。
しかも、毎日お弁当箱を縦向けにして持っていっていたので、フタを開けた時にはいつも白ご飯が、
もともと敷き詰められていた面積の半分以下まで寄ってしまっている(自分が悪いのですけど・・・)、というお弁当でした。
「となりの芝生は青い」と言いますが、やはり友達のお弁当は色とりどりで、うらやましく見えるのです。

ある日、母親にこう言いました。
「みんなのお弁当、いっぱいおかず入ってんのに、僕の1個か2個しかないやん。
しかもご飯は半分くらいに縮まってるし!(自分が悪いのですけど・・・)もっとちゃんと作ってよ!」
そう言われた母親は、ほんの一瞬、悲しい顔をして、
「ごめんね。明日からちゃんと作るね。」と返事をしました。

父親の仕事を手伝いながら、毎朝、必ず自分より早く起きてお弁当を作り
「いってらっしゃい」と送り出してくれる母親でした。
その母親に対する自分の言葉は、あまりにも稚拙で、思いやりに欠けた、自分本位な言葉でした。
毎日お弁当を作ってもらえていることへの感謝など、一言も言わなかった自分が、今になってはずかしく思うのです。
その自戒の念を引きずりながら、その時に母親が一瞬見せた悲しい顔は忘れることができなくなりました。

私たちは食事のあとに、こうお祈りをします。
「主よ、この食事のめぐみを心から感謝します。この食事を・・・」
忙しくても、しんどい時でも、いつも自分のためにお弁当を作ってくれた母親の顔を思い浮かべながら、
今日は、お弁当を作ってくれる妻に感謝して、おにぎりをひとつ、ほおばりました。

1年生担任 一柳 丞