昨日、本学院の先生方が十数名集まり、聖書についての勉強会を行いました。晴佐久神父様の著書『幸いの書』という本に寄り添いながら、難しい聖書の一節一節を読み解いていく良い機会に恵まれました。

 ヨハネ 14 15 ~16

「あなた方は、私を愛しているならば、私の掟を守る。私は父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなた方と一緒にいるようにしてくださる。」

 この一節の解説の中で、神様の愛を母の愛に例えて晴佐久神父様は次のように解説されています。

転んで怪我をして泣き叫ぶ子どもを母親は抱き上げ、耳元で優しくささやく。そのとたん、子どもは涙をぬぐい泣き止む。このような場面のお話の後、「この子どもを私たちだとすると、お母さんは天の父、お母さんの手と声がキリスト、お母さんからあふれ出る子どもを包む親心が聖霊である」と説明されました。

この3つは、お母さん自身と、お母さんが伸ばした手や声、そしてその親心であり、これらは一体であって分けることができないものです。生きる悩み、苦しむ私たちが知るべきことは、自らがこの親心のような三位一体の愛に包まれて生きているという実感を持つことだと、私は理解しました。

 これまで三位一体の神の愛という言葉は、何度か聞いたことがあった私でしたが、この解説に触れて、自分なりにやっと納得が行きました。それは、神様が、私たちの生みの親であり、常に私たちを助け見守るイエス様を与えてくださり私たちを導いてくださる。そして、私達が幸せに暮らせるように惜しみなく、神様は親心のような深い愛を注いでくださっているということです。だからこそ、神によって生かされている自分の存在に気づき、生きていくことが、幸せな生き方ではないかと感じました。

 このような恵み多き機会をくださった方々、そして神様に感謝します。

 

北村 昌江