ペンシルヴェニア州セントメリーズ(「サンタ・マリア」の現在の地名)

(ノートルダム修道女会北米最初のミッション地)

 

 ノートルダム文化委員会からアンケート用紙が届きました。最初の質問は「今までに行って最も印象に残った場所はどこですか」です。私はためらわずに『北米ペンシルヴェニア州セントメリーズ』と書きました。そこは大きな町ではありません。けれども、ノートルダム教育修道女会にとって大切な場所です。

 

ノートルダム教育修道女会の遺産研究に貢献したシスターバーバラ・ブルムレヴィの指導と案内で、北米におけるミッションの始まりをたどるヘリテッジツアーで、私たちが最初に訪れた町でした。グレイハンウンドバスの一ヶ月通用チケットを手にした私たち 5 人は、貴重な巡礼をしました。今から 30 年以上も前のことです。

 

 アメリカ大陸に渡ったドイツ移民の教育の使命に応えてマザーテレジア・ゲルハルディンガーは 1847 7 月、 5 人のシスターと一人の修練女を伴ってミュンヘンを出発しました。その中の一人が後にアメリカにおけるノートルダム教育修道女会の創立者とたたえられるマザーキャロライン・フリスでした。一ヶ月あまりの苦しい船旅を経て、やっとの思いでニューヨークに到着した一行を迎えたのは、シスターたちの到着を待っているはずの宣教者たちからの否定的な対応でした。サンタ・マリアはまだ開発されていない土地で、この先もその可能性はないから、一度ドイツに帰った方がよいとの提言です。

 

 マザーテレジア・ゲルハルディンガーは、とにかく一度サンタ・マリアに行って自分の目で確かめたいと思い、サンタ・マリアに向かいます。一行はペンシルヴェニアの原始林を通り、危険の多い苦しい旅を続けて目的地に到着しました。町と呼ばれたその場所は、原始林の中に散らばっている木造の家がわずかに見える小さな村でした。マザーテレジア・ゲルハルディンガーがバルティモアのレデンプトール宣教会からの招待を受けて視察に行っている間、マザーキャロライン・フリスは丸太小屋を片付けて、小さな村の学校を始めました。短い期間でしたが、それはアメリカ大陸における最初のノートルダム・スクールだったのです。子どもたちはどんなに喜んだことでしょう。

 

 私たちが訪れたのは、その時代から 130 年余り後のことです。そこは静かな田舎の町でした。私たちが泊めていただいたベネディクト会の女子修道院だけが大きく見える町でした。町の学校を訪問して、学校の歴史資料を見せて頂いた時、私は大きな感動に包まれました。確かにそこ、セントメリーズはマザーキャロラインたちが教育を始めたところでした。案内してくださった先生が静かにおっしゃった言葉を忘れることができません。

 「わたしたちは、マザーキャロラインの残してくださった教育への思いを大切にしています。」

 

 あの町は今、どんなになっているのかな、学校は?と、思いをはせます。そして、本当に大切なものは、いつまでも大切にされているに違いないと自分に言い聞かせるのです。

 

シスターアンミリアム