NDダイアリー  

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」   (ヨハネによる福音書 1章1節~5節)

これは私がよく振り返る、言葉の重みを感じる聖書の一節です。

言葉は神、万物は言葉によって成る、言葉の中に命があり、言葉は人を照らす光。

その力の大きさを感じると共に、ふさわしくない言葉も発してしまう自分が悲しくなります。それでも、真摯な姿勢をもち続け、気品ある言葉を育みたいと願わずにはいられません。

 

言葉と気品について考えてみました。

数年前、学校長が創立以来の恩人をお招きする集いが催されました。その際にお世話下さったホテルの支配人が「何十年も数え切れないほどの宴会を担当してきたが、これほどのグレードの高いものは初めてです。」とおっしゃったそうです。ノートルダムの品格・・・。

“しぐさは優雅、表情は穏やか、人との接し方は気高く謙虚・・・”幼いときから繰り返し躾けられた振る舞いにおける気品の定義です。けれども年齢を重ねるにつれて、気品とは行動でうまれるものではなく、内面からにじみ出るものだと知りました。自分を律しつつも無理して作るのではなく、人格を向上させようとする努力が大切である事や、日々の生活や人生に、神さまの御旨にそった基軸がなければノートルダムにおける品格とはいえないということ、内面を表す主たるものが言葉なのだということにも気づきました。

 

“ 言葉は神、万物を作るもの、そこに命が宿り、光となる。 ”

毎日たくさんの言葉を子どもたちの澄んだ心に投げかける教職だからこそ、人一倍言葉を大切にしなければなりません。できることなら光となるような言葉を届けたい。洗練された暖かな言葉で神への愛を目の前のこの子どもたちに返したい。

時が流れ、いろいろなことが変わっても、創立以来受け継がれてきたノートルダムの品格を守り続けることが開校57年をむかえる今、本校に勤める者の大切なつとめの一つであり、20年近くもこの学校と共に歩ませていただいた恩返しでもある、そして卒業生をはじめ、ノートルダムに関わってくださったすべての方々に対する責任でもある、そんな思いをいっそう強くした今日の一日でした。

 

6年担任 稲光千賀子