「カダフィ氏 死亡」のニュースに世界中の人々は“やっと終わったか・・”とため息をつきながら、その情報に耳を傾けたのではないでしょうか。独裁体制のもとで苦しむ人々の存在を無視し、側近に見放されてもなお虚勢を張り続けた人の何と哀れな最期か・・。黄金の拳銃を手に配水管の中に隠れていたところを捕らえられたとか・・。名誉も権力も財産もあの世に持っていけないことをこの指導者は知らなかったのでしょうか。
 同じ新聞に、カダフィ軍に対して戦っていた若い兵士の言葉も載っていました。「リビアに自由が訪れた。今すぐ母親に会いたい」と。この「母親に会いたい」という言葉に私は胸がしめつけられました。戦場にあっても自分のために祈ってくれている母親のことを忘れることはなかったのでしょう。カダフィ氏は自分を生み育ててくれたお母さんのことを一度でも思い出し、懐かしみ、感謝することはなかったのでしょうか。一体どんな子ども時代を過ごしたのでしょうか。

 自分が生きていること、生かされていることを感謝し、将来の自分の進みたい道について考えたり祈ったりする体験をもった6年生は幸せです。小学校での6年間は人生の土台となる最も大切な時期です。その時期に、自分が神様に愛され、お父さまお母さまから愛されていることを実感した子どもたちの顔は何と平和に満たされていることでしょう。
 どんなに受験で忙しくても祈ることを忘れてしまうことがありませんように。神様は「祈る心」を持っている人を決してお忘れになることはありません。「祈る心」は母の心です。

校長 シスターベアトリス田中