昨日、自転車の急ブレーキをかけて転んだ時のかすり傷の治療をしていただこうと、保健室に行った時のできごとです。
 数人の子どもたちが並んで順番を待っていました。私もその後ろに立って自分の番を待っていました。みんなは、私がどんな怪我をしたのか見たかったのでしょうか。養護の先生に診てもらった後も保健室から出て行かないで、ずっと私のことを気にしてくれているようでした。大した怪我でもないのに、丁寧に処置して下さる養護の先生に申し訳なく思いながら、ふと横を向くと、身をかがめて、私の代わりに痛そうな顔をしてくれている4年生の男の子がいました。そして声をかけてくれるのです。
 “こうちょうせんせい いたい ? どうしたの ?”と。ほんとうに心配そうでした。私は正直に“自転車でころんだのよ”、とは言えずに、“ちょっと けがしたのよ”とだけ言ったのです。そのあと、怪我のことなどすっかり忘れていました。
 ところがNDタイムにその男の子が校長室にやってきたのです。ドアをノックして・・。
 “こうちょうせんせい あし いたい ?  だいじょうぶ ? もう なおった ?”

 保健室で優しい言葉をかけてくれたあの同じ男の子でした。ほんとうに心配そうな顔をして私を見舞ってくれたのです。何とやさしい子どもでしょう。
 実は、この子は数日前、廊下で友だちとふざけていたところを私に見つかり、厳しく注意されたのです。その同じ子どもが今日は私の足の傷を気にして、わざわざ、校長室まで私を見舞ってくれたのです。廊下を走ったくらいできびしく叱った私を赦し、こんなに私のことを心配してくれたこの子に申し訳なく思いました。また、とっさに優しい言葉をかけることの出来るこの子の純粋さに心を打たれました。
 “口は心にあることを語る”と聖書にあります。この子はきっとお家でお母様から優しい言葉をかけられて育ったのでしょう。優しい言葉、あたたかい言葉に包まれて育てられた子どもは幸いです。

校長 シスターベアトリス田中