5 年生が 9 16 日(金)広島へ平和学習に行きましたが、実は翌17日、18日と私は友人と広島を訪れていました

平和記念公園に行く予定はなかったのですが、近くを通りかかった際に、友人の 1 人が平和記念公園に行った事がないというので急遽足を運びました。

昨年度は私自身が副担任として 5 年生を引率したこともあり、友人を原爆ドームや被爆したアオギリの木などに案内しました。

  最後に、広島平和記念資料館に向かいました。  

入館した際は一通り見て時間をかけずに次の観光地に向かう予定でしたが、気が付けば1時間以上滞在しておりました。そして感じたのが、私自身が本当に平和について、戦争について、どこまで深く考えていたのだろうということです。原爆の恐ろしさ、被害の大きさ、そして放射能の被害のおそろしさなどは資料を見たりして知っていましたし、なぜ戦争が始まり、原爆が投下されたか。これも調べたらわかることです。

ただ、資料館を出て、平和記念公園から出る際に、なぜかこのままで良いのかと感じました。

それは、原爆ドームの目の前でゴミを地面に捨てる年長者、平和記念公園内を歩きながら、全然感動しないなともらす学生を目にしたからです。

平和とはいったいどういったものなのか。最近、東日本大震災を通じて、ありきたりな日常について考えさせられる時間がふえています。私自身不自由なく安全でごく普通の日々をおくることに対して、自らを見つめることが出来ているのか。平和な平凡な日々とは何なのか。平和記念公園に行きあらためて見つめなおす良い時間が出来ました。原爆の子の像の下にはたくさんの千羽鶴がささげられていました。本校をはじめ、たくさんの小学校、中学校などが訪れています。大人でも難しい課題の「平和」。そして不自由がない普通な日々。それらについて、考え続けることで少しずつ良い世界がつくられるのではないかと思います。「人が変われば世界が変わる。」これからも子どもたちと共に考え、実践していきたいと思います。

 

6 年 副担任 中藪 大意樹