10月2日、6年生全員が修養会に参加しました。

修養会は、今年で16年目を迎える宗教行事で、毎年、10月におこなわれます。この時期、6年生は中学受験勉強に追われ、ともすれば他の人に対する思いやりの気持ちなどの、入学してから常に大切にするように言われてきたことがおざなりになってしまいがちです。修養会はそんな6年生に、自分自身を深く見つめ、振り返り、ノートルダム学院小学校に学ぶ児童としてふさわしい態度とおこないをするための、あらたな心の糧を与えてくれます。

しおりから「修養会のめあて」を紹介します。

一日中、沈黙で自分を内省する。そして神様の導きを知る。

自然の中で、与えられた命・時・出会いを大切にする。

神様に与えられた恵みを感謝する。そして、他の人を大切にする心を持つ。

祈る時、神様がともにいてくださることを知る。

修養会の第一部は山の家でおこなわれます。 

天気に恵まれれば、さわやかで美しい秋の風情を満喫しながらの一日になるのですが、残念ながら、この日は雨。教室での修養会となりました。 

 
 
 

今年は、長崎教区から下窄英知神父様をお招きしての修養会です。

下窄英知神父様は長崎県五島でお生まれ、ご活躍された神父様で、本校のディスカバリーに「長崎・五島」コースがあることを聞いて驚かれていました。

 

神父様のお話を午前午後と2度伺い、そのつど、感想をしおりに書き込み、そのあとで「分かち合い」に参加します。分かち合いは、グループに分かれ、それぞれに本校の教師が一人ずつついて指導をします。神父様のお話をもとに、感想や意見を自由に発表しあいます。反対意見を出したりせず、仲間の声を傾聴することが分かち合いの特色です。

 
 
 

第二部は、学校へもどりNDホールでおこなわれる「御ことばの祭儀」です。御ミサの中でこの日の学びを振り返り、堅固なものにします。最後は、神父様から按手(あんしゅ)していただきました。これは、神父様の御手を通して、神様からの祝福をいただくものです。

6年生だけでなく、保護者も教員も祝福をいただきました。

 
 
 
 
 

児童の感想と、「御ことばの祭儀」に参加した保護者の感想を、週報第19号から一部抜粋して紹介します。

児童:
「一番、心に残ったのは、神父様のおっしゃっていた『大人』ということです。(中略)また、大人になるためには、他の人の気持ちが分かるようにならないといけないそうです」
その児童の保護者:
「これからいくつもの困難や悲しみに出会うでしょうが、神父様のお言葉のとおり、それらを幸せと思い、乗り越えていける強さを身につけていって欲しいと願います」

児童:
「今日、神父様がお話された事には、私にもいくつかあてはまる所もありました。たとえば、他の人の気持ちを考えて接していれば必ず幸せになれるという事です」
その児童の保護者:
「思春期にさしかかったこの波乱の?そして大きな飛躍の時期に、このような一日を与えて下さった事に感謝します」

児童:
「ぼくは、神様はみんなの心にいて現実には、いないと思いました。一日中、だまるというのはきつく、苦しく、でもそれは神様の試練だと考えると、まだまだだと思いました」
その児童の保護者:
「6年生という最も学業が忙しい時期にあえて『心』を見つめる、そして問う修養会という素晴らしい行事を行なって下さったことに心より感謝と敬意を表します。息子の感想文を見て、文面的にはまだまだ稚拙な文章ではありますが、一日、自分の心と向き合っていた経緯がうかがわれます。こうした『行ない』こそが、真の成長を促すものだと思います」

 

受験勉強たけなわへと向かう6年生です。かれらの心と体に恵みあれと願います。